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名古屋地方裁判所 昭和39年(ワ)2414号 判決 1965年7月31日

主文

原告に対し被告早瀬キヌ子は別紙目録記載(一)及び(二)の各不動産に対する各三分の二の共有持分の、被告早瀬タツノは右各不動産に対する各三分の一の共有持分の各移転登記手続をなし、被告ゴンチヤロフ製菓株式会社は右(二)記載の不動産を明渡し且昭和三十九年八月十八日以降、昭和四十年五月五日までは月金二万三千九百五十二円、同月六日以降右明渡済に至るまで月金二万五千三百九十円の割合による金員を支払わなければならない。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告等の連帯負担とする。

事実

原告は金員支払の部分を昭和三十九年八月十八日以降右明渡済に至るまで月金三万円の割合による金員とせる外は主文と同旨の判決と明渡と金員支払につき仮執行の宣言を求め、請求の原因として一、別紙目録記載(一)及び(二)の各不動産は原告の甥早瀬直吉が昭和三十年十一月十七日山田恭博より代金金五十四万円で買受けて分工場とし、同所で時計金属バンド製造業をなし、その買受後実弟早瀬善守を呼寄せて事務員となし同家屋の一部に居住せしめた関係上多額の課税を回避すべく同人と協議の上便宜右各不動産の買受人名義を同人となし昭和三十年十一月十七日名古屋法務局古沢出張所受附第二〇一〇四号をもつてその旨の所有権移転登記手続をなした。しかるに早瀬直吉は昭和三十四年六月頃経営不振のため事業を縮小することとなし右の分工場を閉鎖し、早瀬善守は失職したが引続き右家屋に居住することを許容せられ、同所より原告の経営する名古屋市中区桶屋町の麻雀荘に雇われて通勤していた。又早瀬直吉は昭和三十年頃から〓々原告より営業資金等を借受けていたが昭和三十四年秋の伊勢湾台風当時には原告に対する債務総額は約金六十万円に達しており、従来よりの経営不振に加えて伊勢湾台風により甚大な被害を受けたため右の債務を容易に弁済できる見込がなく右分工場の再開も絶望となつたので昭和三十四年十月頃原告に対し右の債務に対する代物弁済として右の土地家屋を提供し、ここに原告は右土地、家屋の所有権を取得し、このことは早瀬善守にも話しあつた。而して原告、早瀬直吉、早瀬善守は叔母、甥の関係にあり、且つ早瀬善守は右の家屋に居住し原告方に通勤していた関係上右各不動産の原告への所有権移転登記手続がついそのままになつていた。早瀬善守は昭和三十八年十二月二十四日死亡し、その後はその妻被告早瀬タツノ、養子被告早瀬キヌ子が右家屋に居住していた。然るに原告は昭和三十九年八月初頃被告早瀬タツノが右土地家屋が夫早瀬善守の所有名義になつていたところからこれを他に売却しようとしているとの風評を聞き直ちに調査したるに右土地家屋はすでに同年三月右法務局出張所受附第九一六八号をもつて相続による被告早瀬タツノ(三分の一)、被告早瀬キヌ子(三分の二)の共有名義に所有権移転の登記手続がなされていたので驚き右被告両名を相手方となして名古屋地方裁判所に右土地、家屋の処分禁止の仮処分を申請し(同裁判所昭和三九年(ヨ)第一二一二号)同年八月十一日その仮処分決定を受け同月十四日前記法務局出張所受附第二三一九四号をもつてその旨の登記手続がなされた。右被告等は右仮処分決定の登記手続後である同年八月十七日被告ゴンチヤロフ製菓株式会社に対し右の土地、家屋に対する名義上の右各共有持分を売渡すと共に即日、原告及び早瀬直吉等親族に対する挨拶は勿論隣近所にも何等行先を告げることなく急遽家財道具を取纏め、原告より保管させられていた原告の所有什器をその場に放置したまま右家屋を退去して所在を晦ました。ついで被告会社は翌十八日右法務局出張所受附第二三四四二号をもつて原因同年八月十七日売買として右土地、家屋の所有権を取得した旨の所有権移転登記手続をなして同月十八日右家屋に入居し爾来これを占有しているがこれをもつて原告に対抗しえないことは明らかである。よつて原告は右土地、家屋の真実の所有権者として被告早瀬キヌ子、被告早瀬タツノに対し右各共有持分の原告に対する移転登記手続をなすことを求め、被告会社に対しては右家屋の明渡と被告会社が右家屋の占有を始めた昭和三十九年八月十八日以降右明渡済に至るまで賃料相当の損害金として月金三万円の支払を求める。と述べ、被告等の主張を争つた。

被告等は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、被告早瀬キヌ子、被告早瀬タツノは請求の原因たる事実中原告と早瀬直吉、早瀬善守の身分関係、右の土地家屋につき昭和三十年十一月十七日名古屋法務局古沢出張所受附第二〇一〇四号をもつて早瀬善守名義に所有権移転登記手続のなされたこと、原告が麻雀荘を経営し、早瀬善守がその手伝をしたこと、早瀬善守が昭和三十八年十二月二十四日死亡し、その妻子である右被告両名が引続き右家屋に居住していたこと、各相続登記のなされたこと及び右被告両名が被告会社に右土地家屋の共有持分を売渡して退去し、これを引渡しその旨の登記手続がなされたことを認めてその余の点を争い、早瀬善守は昭和三十年頃新日本汽船株式会社の司厨長として勤務し、奈良県磯城郡川西村に土地家屋を所有して妻子と共に居住していたがその頃実兄の早瀬直吉から住居のための土地家屋を買うに必要な金員を新家分として贈与するから出身地である名古屋市にきて生活するようにとの勧告を受け右の所有土地家屋を売却して名古屋へ移り、その際本件土地家屋購入代金の一部として金十万円を兄に渡し、同人は右金十万円と約旨による贈与金とを合せて右の土地家屋を弟に買与えた。金属製時計バンド製造の仕事は兄弟の共同経営であつた。その後右の経営は不振のため廃止したがその間早瀬善守は同経営のため金二十二万円の立替払をしたが清算されていない。又同人は伊勢湾台風のため被害のあつた右家屋の修理に約金五十万円の失費をし、これを工場より居住用に改築した。同人は昭和三十六年五月より魚の販売を始め、原告に電話架設費の借用を申込んだところ本件土地家屋を担保に提供することを求められたので借金の申込を撤回したことがある。尚同人は昭和三十年以降右土地家屋の固定資産税の支払をしてきた。同人死亡による遺産整理の際にも右土地家屋については原告も兄直吉も何ら触れることがなかつた。尚原告と早瀬直吉間の金員貸借、代物弁済を証すべき書証も欠缺している。これらの諸点より原告及び兄は右の土地家屋が善守の所有であることを十分承知していたのである。同人の死亡によりその妻子たる被告両名は右の遺産により生計を樹てる外途なく、身寄の多い関西に赴くのが物心両面において有利と考え右土地家屋を被告会社に売却したのである。しかるに原告と兄直吉は右土地家屋が自己と血縁のない者に承継せられたことに不満を持ちこれを強欲にも奪いとろうと結託したもので非道として断じて許せない。仮に原告のいう如く代物弁済がなされたとしてもその旨の登記がないので第三者たる被告等に対抗できない。と述べ、被告ゴンチヤロフ製菓株式会社は請求の原因たる事実中仮処分決定の登記のなされていること、被告会社が昭和三十九年八月十八日右の土地家屋につき売買による所有権移転登記手続をなし今日これを占有していることを認め、その余の点を争い、右土地、家屋を早瀬善守名義に登記手続がなされたことにつき、直吉、善守が兄弟とはいえ何等の書証もなく代物弁済のなされたことについても何らの書証、登記等の存しないこと、固定資産税は被告早瀬タツノ等の支払つていること、右家屋につき善守が大修理を加えたことから原告の主張は措信しがたい。と述べ、抗弁として(一)原告は早瀬善守の右土地家屋の売買を原因とする取得登記は同人と早瀬直吉との間の通謀虚偽表示により無効なりと主張しながら右善守の相続人等に対しその所有権移転登記手続を求めるのは矛盾した主張で失当である。(二)被告会社は被告早瀬タツノ、被告早瀬キヌ子との間に昭和三十九年七月二十九日右土地家屋につき売買契約を結び所有権の移転を受けたものであり、原告は昭和三十四年十月中頃早瀬直吉から代物弁済により右土地家屋の所有権を取得したと主張しているが何らの登記もないのでこれをもつて被告会社に対抗することはできない。(三)原告は早瀬善守の右の取得登記は同人と早瀬直吉との通謀虚偽表示なりと主張するもこれは民法第九十四条第二項により善意の被告会社に対抗できない。と述べた。

証拠(省略)

別紙

目録

(一) 名古屋市瑞穂区土市町一丁目四十五番

一、宅地 五十五坪四合三勺

(二) 名古屋市瑞穂区土市町一丁目四十五番地

家屋番号 一丁目第十九番

一、木造瓦葺平家建作業所 床面積二十一坪

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